洲本八景洲本城へ行ってきました!
洲本城は模擬天守です。
淡路島洲本城の歴史
年代 | 出来事 |
1526年 (大永6年) | 安宅治興が由良城をを本拠地として三熊山上に築城する。 |
1581年 (天正10年) | 安宅氏が洲本城開城。羽柴秀吉・池田元助らに降伏する。 |
1582年 (天正11年) | 由良城以下淡路の各城は仙石秀久の支配下に入る。四国攻めの水軍の城として、石垣の城を築き始める。 |
1585年 (天正13年) | 仙石秀久に代わり、脇坂安治が洲本城に入城。以後、城の増改築を行う。 |
1598年 (慶長3年) | 豊臣秀吉病死。 |
1600年 (慶長5年) | 関が原の戦い。脇坂安治は徳川方に寝返る。 以後、本丸周辺の大改修を行う。 |
1609年 (慶長14年) | 脇坂安治 伊予大洲城に移る。 洲本城は、藤堂高虎が幕府より預かりとなる。洲本には城代を置く。 |
1610年 (慶長16年) | 幕府は、姫路城の池田輝政に淡路全土を与える。輝政の三男、忠雄が支配する。忠雄は洲本城に代えて、成山城、岩屋城を修築。大阪城の包囲体制を確立した。 |
1615年 (元和元年) | 大阪の陣で、淡路国七万石は岩屋を除き、阿波徳島藩主である 蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)に加増される。 |
1617年 (寛永3年) | 岩屋を含め、淡路全土が蜂須賀家の所領となる。 |
1631年 (寛永8年) | 1631年から1635年にかけて由良城を廃し、洲本城に再び本拠を移す。(由良引け)。由良城下を洲本へ移転させる。 |
1642年 (寛永8年) | 山城は不要とされ、三熊山の麓に政庁機能を移転させる。 これ以降、山上の洲本城が使われる事はなくなる。 |
1928年 (昭和3年) | 昭和天皇御大典記念として 総工費一万円、鉄筋コンクリート製で、四層四階の層塔型の模擬天守を建造。 |
1999年 (平成11年) 1月14日 | 洲本城(本丸を含む山上の史跡)が国の史跡に指定される。 |
現在 | 現在に至る。 |
洲本城について
お城にあるしっかりと積み上げられた石垣を見るといつも感心します。
見えてきました本丸!
お城見るとわくわくします。笑
本丸はなかなかの眺めです!
そこまで高くないですけど見晴らしがよくて見渡せます。
天守閣はかなり小振りです。
夜景の見える洲本城
天守まで歩くのがかなり暗くて不気味でした。
てっぺんまで行くと淡路島の夜景が一望できて綺麗です。
洲本八景の洲本城訪問できてよかったです。
一度行ってみてください。